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初代会長 寺門徳太郎
我が鎌倉ロータリークラブは、この春で満5カ年になった。その間における目ざましき発育振りは全く驚くべきものだ。最近における我が会は多彩、多岐の人材を集めており、その運営は一糸乱れず整然たるもので、おそらく我が国におけるロータリークラブのトップクラスに位すると思うのも自画自賛ではあるまい。つまり外観上は申し分なき成長である。しかし、その内容はどうか。これには更に検討を加える必要がある。1月29日における第2分区のインターシティー・フォーラムに参加してつくづく感じたことだが、多くのクラブは10年ぐらいたつと相当老化現象を呈してくるし、新しいクラブは幼稚でクラブ運営の方針さえ立っていない。その中間の我がクラブは現在が盛りで、このままいけばだんだん老化するのではないかという憂いが起こって来た。その根本は何か。つくづく考えたことだが、それはロータリークラブそのものの本質をもっと掘り下げて見ることだと思う。言うまでもなくロータリーはアメリカ生まれであるから、欧米人の考え方が根底をなしており、これを日本人が充分理解しないということに帰着する。一例を挙げれば超我の奉仕と訳しておる。Service above selfだが、このセルフ、つまり自分ということは欧米人の観念のセルフで日本人のそれではない。欧米人は個人主義者であり常にセルフを守っておるが同時に他人のセルフも尊重する。
デモクラシーの基本概念はこれから出発しておる。ところが日本人には欧米人のようなセルフはない。といって近ごろの若いものは別だが明治、大正に生まれた我々はいわば滅私奉公の精神が根本であって、公のために私をなくするように教育されて来たから超我の奉仕などというとすぐに飛躍してセルフ等どこかへふっ飛んでしまう。Service above selfのセルフは、アメリカのセルフで日本のそれではないようだ。また、よく問題になるHe profits most who serves bestにしても欧米人がその根本概念とする「これはペイするか、しないか」と合理的にわりきる気持ちに当てはめてみれば、ペイする奉仕をすれば儲かるに決まっているので、勿論単に金銭だけではないが、何物かがプラスされるということだ。日本人はお体裁が好きで、これにこだわる習性がある。勿論その善悪を論ずるわけではないが、ロータリーの本質を欧米流に考え直してみることが今後クラブを更に発展させる鍵になるような気がする。
もう少し論点を進めれば、我々はペイするクラブにすることが必要だ。それはロータリーが国際団体であり、これに入っておることは自分のセンスを広くし、そのことが自分の仕事にプラスするという信念をもつことだと思う。クラブには単に集会のテクニックの上手下手だけに止まるべきでない。勿論親睦をはかり、地域社会のお役に立ち、人様のお邪魔をしないことは言うまでもないが、国際センスの培養こそロータリーに入会しておる意味がある。つまりこれでペイすると考えることがアメリカ式の合理的な割り切った考えと思うのだ。
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